“40年生”まで続く小学校、時間割組織から抜け出すために

“40年生”まで続く小学校、時間割組織から抜け出すために


前回のまとめ

前回記事はこちら

GOB Incubation Partners共同代表の山口高弘と取締役CFOの村上茂久による対談。前回は、個人がいろいろな自分の中から、好きな自分を選択しうる「分人化社会」での個人と企業のあり方を見ました。今回は、社会のあり方を問います。


キングコング・西野さんは「芸人」か──肩書きが多い人に厳しい社会

 

写真左:GOB取締役CFOの村上茂久、右:同社共同代表の山口高弘

山口 現在は「分人肯定型社会」に移行中だと言えると思うけど、まだ移行しきれていない。それを示す良い例で、「肩書きが多い人」に対する社会の見方が良くないなと思っていて。

Facebookで、色々なことをやっている人が、色々やっていると書き込むと「何やってる人なんですか?」みたいなコメントがなされるんですよ。1)例えば落合陽一さんは2019年3月11日にTwitterで「俺は毎日やってることをこれでもかと発信してるのに「何やってるかわからない」と言う人は何がわからないのかもう俺にはわからない」と呟いている。これって、つまり「整合性取れていないあなた大丈夫?」ってことなんですよね。自分は整合圧力がかかってそうなれないというジレンマの表れでもあるでしょうね。

肩書きが多様化している人への受容性が不足しているんじゃないかと思うんだけど、それについてはどう思いますか?

村上 企業に限った話ではないですよね。芸人のキングコング・西野さんもまさにそうで。彼は芸人と名乗っているけど、古典的な芸人からすると、西野は芸人じゃないとなってしまう。2)西野さん著「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」において、西野さんがバラエティ番組のひな壇に出ない活動を受けて、ナインティナインの岡村さんが「芸人だったら、『ひな壇』に出ろよ。皆、出てるんやから」というラジオでの発言について、ひな壇に出ない理由を書いている。西野さんにとって、芸人というのは、肩書きではなく、生き方の名称のことであり、岡村さんの考える芸人の定義、例えば漫才をして、ひな壇に出て、クイズ番組に出る等の活動をするものとは異なるという見解を示している。

山口 絵本を書いたりね。3)『えんとつ町のプペル』等。同絵本はこちらのサイトで全文公開している。

村上 そう。でも今何が起こっているかと言えば、彼は古典的な芸人の世界では評価されていないけど、ビジネスの文脈で評価を受けていますよね。

いろいろな肩書きを持っていると、それによって多様な動きが取れて、多方面に価値を提供できるはずなんだけど、まだ受け入れられていませんね。

山口 そういう人たちへの見方を変えるブレイクスルーとして一つ考えられるのは、名前をつける、つまり「概念化」することだと思う。今って、肩書きがたくさんある人を表す名前がないんだよね。概念があれば、社会の見方は変わるはず。

個人的には、パラレルワーカーとかだと十分に言い表せていない気がするんだよね。

村上 パラレルワーカーは良い線まで行っていると思いますけど、既存の社会の価値観が前提となった、ある種いびつな存在であるところを抜け出せていない。

僕が面白いと思うのは、社会でまだ十分に受け入れられていないこうした概念化されていない動きをしている人たちとこれまでの価値観の人達が一緒に働くと、急にこれまでの価値観の人達の価値観が変わるんですよ。びっくりするくらい。一緒に動くことで、その良さや価値がわかってくる。

山口 なるほど。

時間の使い方、「企業ありき」から「家族ありき」が選択可能に

山口 次に、少し角度を変えて考えたいです。これまで話してきたような「分人化社会」における家族との関係性については、どう読んでいますか?

村上 家族とのあり方は大きく変わると思っています。

今までは、旦那さん(に限らず、家庭の中で企業で働く人)がいた時に、企業が主で家族が従属的でした。でも、今の僕の働き方もそうですけど、僕が娘を保育園に送って行って、週に何回かは迎えにも行く。妻が迎えに行く時は僕がご飯を作って、夜8時くらいまで家族一緒に過ごす。8時過ぎると、娘は寝るので、そしたら僕は「行ってきます」ってカフェに行って仕事する。

つまり時間の使い方が、今までは、会社の時間を押さえた上で、余った時間をどうするかだったんだけど、今は家族の時間を押さえた上で、他をどう調整するかという視点に変わってきているんです。

山口 なるほど。

ここで、分人化社会という言い方をもう少し詳しく見ていきたいんだけど、先ほど、分人の中にも「個人」「対(つい)」「集団」があるという話をしたよね。これが一見フラットに語られているけど、実はその理解は違っていて、「対」が土台となって、その上に、個人と集団があるはずなんだよね。

 

分人の概念、カテゴリーの詳細は前回記事を参照。

山口 なので、時間の使い方が家族中心にしていくというのは、必然かもしれない。制約がなくなれば、人間「対」を土台としたものに帰結していく気がします。

ということはですよ、もはや会社の規約や規則はいらないんじゃないか、とも思えてくるんですけど、そこはどうでしょう? 就業規則って何のためにあるんですか?

村上 就業規則は、当時の時代背景的に、労働法で労働者を守るという発想から生まれています。

山口 つまり、マルクスの世界だよね。

村上 そう。でもブラック企業の問題を見てもわかるように、意味をなしていないポーズになっています。フリーランスもそうですが、実際には就業規則がなくても、業務委託契約のレベルで、企業活動が回っていることも多々あるわけですからね。

僕がGOBへのジョインとともに、スタートアップの世界へ来て感じる違いの一つにミーティングの設定があります。大きな企業だと、ミーティングのリスケも、ものすごく気を遣うんですよ。それだけで1回バツがついてしまうイメージ。終身雇用があり、長期的な評価を下されてしまうので、そこでみんな疲弊している部分があります。

古典的な「分人否定型」企業、なぜ存在し続けるか

山口 じゃあ、そういう分人化社会における最大の障壁であるいわば「分人否定型企業」はなぜ存在し続けているのでしょうか?

村上 例えばアメリカの場合、雇用が流動的なので、企業から企業へ移るのは当然とされています。一方の日本では、終身雇用、年功序列の企業が依然として多いので、ある意味、飛び級もない日本の教育の延長にあると思うんです。同期はずっと同期で、そのまま30〜40年ずっといる。

山口 企業とは、“40年生”まである学校だと。そもそも同期という言葉は違和感しかない言葉でもあるよね。

村上 リアルに、あの人は平成〇年入社とか覚えてますからね。4)城 繁幸は『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』(2006年、光文社)の中で、伝統的な日本企業において、上司や先輩が平成◯年入社やどこの大学出身かを覚えることの 重要性について、やや皮肉めいて書いている。

山口 そう考えると、「分人否定型企業」には小学校というメタファーがしっくりくるね。結局、幼稚園や保育園は自由なのに、小学校に上がると、いきなり統制社会に変わってしまうんだよね。

ということは、みんな自由に選択できるのに「分人否定型企業」へ入社するのは、自由な世界よりも、統制されたいから、言い換えると学校の方が好きだからということ?

村上 それはあると思います。前に挙げたWill、Can、Mustの中で見ると、小学生ってMustが多いですよね。

山口 昼飯の時間すら決められているからね。お腹が空くタイミングは人それぞれなのに、同じ時間に一斉にご飯を食べさせられる。

 

詳細は、前回記事参照

村上 時間割はその究極だと思います。1日のスケジュールが、向こう1年間決まってるわけですから。

山口 そうだね。そこに自分の選択はほとんどないものね。ベルクソンが言うところの管理された時間=「他人時間」のみが存在するということだ。

ベンチャーも大企業も関係ない、キーワードは時間の設計

山口 今までの話を振り返ってみると、前回、大企業とベンチャーの対比を考えたけど、実際は大企業がとか、ベンチャーがとかって一概には言えなくて、時間割、言い換えれば他人が設計した他人のために過ごす時間、そういうパラダイムが良くないということだね。

分人もある意味、時間割だけど、それを自分で決められているかどうか、が重要だということか。

村上 1日のうち12時間くらいを他人に決められている時間割では、自分が好きな分人でいる時間を作ることは難しいですからね。

山口 とはいえ、社会の構造として、時間割を自分で決めるということを全員に強いると、きっと不安定化する気がする。

村上 そうですね。60歳から65歳で雇用延長の仕組みがありますよね。これって、給料は半分ほどで、新卒3年目くらいの人と同じになったりするんですけど、それでも延長を選択する人は多い。これは、もちろん一概には言えませんが、自分が何をやりたいかとか、キャリアをデザインするみたいな能力がないことを示しているのかもしれません。

これはエーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」のような状況と似ています。すなわち、自由であることには、ある種の孤独とともに、厳しい責任が伴うことになるため、こんな自由があるぐらいだったら、自由から逃走したくなるということです。このことは、わからなくもないです。

山口 組織からのMustが強すぎて、WillやCanが生まれてこなかったからというのもあるかもしれないね。

村上 幸福に関する研究5)出典:西村和雄 他「幸福感と自己決定―日本における実証研究」(RIETI Discussion Paper Series 18-J-026によれば、幸福感を決定する要因で大きいのは、健康や人間関係で、その次にくるのは、所得や学歴ではなく、自己決定という結果が出ています。すなわち、自分で決定できること、まさにWillが幸福には大きな影響を与えることが示されています。一方で、Mustが強すぎた結果、幸せに影響が大きい自己決定、つまりWillが生まれて来ないというのは、考えさせられるものがあります。

「好きから見出された得意を磨くことが最も効率が良い」

山口 時間割を自分で決めるということについて考えると、時間割が自分で決めるというのは、ある程度力が必要なんだよね。リモートワークやパラレルワークを認めればすぐ実現できるという話ではないと思っています。

一定の力がない限り、他人に時間を奪われて、自分の時間を切り売りするようなことになりかねないし、フリーランスでもそういう人はたくさんいますよね。

村上 そうですね。

山口 だから、ある程度のインプットがないと、社会に対して体を開くことができないというか、インプットの幅が少ないと、還元の世界に開いた時に、社会との接点を持ちにくい。

 

前回、図のようにインプットと還元の世界を想定した時、多くの企業では、インプットが大きくても、その還元ん先として所属する一つの企業しかない場合、個人が価値を発揮することができない、という話をした。詳細は前回記事参照。

村上 WillをやるにもCanが必要になってくると。

山口 ある程度、CanあってのWillだし、Willあってのcanだという理解は必要だと思う。

分人否定型企業から言わせれば、MustがあってこそCanが育つという理論なのかもしれないけど、僕は、ここは徹底したスタンスに立っていて、Mustは一切いらないと考えています。

やはり、好きから見出された得意を磨いていく、ということは、Canを成長させる上で、もはやMustよりも効率の良いドライブである、と考えているんだよね。

村上 Mustにも、他人に課されたMustなのか、自分で決めたMustなのか、があると思います。例えば、イチローのルーティーンは別に強制されたわけではないし、会計士になりたいと思った人がそのための勉強をするというのも同じ。

一方で会社から、「明日から経理部配属だから会計の勉強しなさい」、というのは全く違くて、これはきついですよね。

雇用において、仕事が先にあって、仕事に人を割り当てることはジョブ型と言われ、他方、人が先にいて、人に仕事を割り当てることはメンバーシップ型と言われています。6)ジョブ型とメンバーシップ型の違いについては、濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』(2013年、中央公論社)に詳しい。ジョブ型ではCanを活かすやり方で、会計ができる人が経理の仕事につくことになりますが、日本は典型的なメンバーシップ型で、先に人がいて、いる人に経理の仕事を割り当てるので、必然的にMustが多くなります。

山口 Mustにも能動と受動があって、能動化していれば、悪くはないね。自分の信念の奴隷になるのであれば悪くない、と言った経営者もいたね。

村上 それと、終身雇用や年功序列という仕組みがあったときに、パフォーマンスへの評価が足りていないんですよ。プロ野球選手はパフォーマンスを上げればレギュラーになって、年俸が上がる。だから頑張るためのモチベーションが生まれやすいけど、年功序列では、どんなに頑張っても短期・中期的には2年上の先輩に役職で勝てないわけですから。

一方で、Mustがなければどうしていいかわからないという人も中にはいると思っています。例えば、GOBではタスクこそあれ、指示は特段ない。これを難しいと感じる人もいるはずで。

山口 確かに、指示されないというのはある意味で、辛い側面もあって、自由からの逃走をしたい人とか、全体主義に向かってしまう人も出てくるよね。

そういう意味では、企業からすると、組織の中であまり活性化できていない人に対して、枠をはめるのでなくて、こちら側が彼らに火をつけられていないことを反省すべきだということだね。彼が能動的に動きたい何かが発見できていない、そういう環境しか用意できていないということだから。

刻々と歯車が形を変える現代、「不確実」に対応するために企業は何ができるか

山口 最後に改めて、これからどういう世の中になっていって、そこではどういう組織が勝つ、または伸びていくと思いますか。

村上 今後、社会はかなりの可能性で、一層、不確実性が増していくはずです。どうなるかわからない社会になっていく。

終身雇用や年功序列は、ある程度安定した社会や経済を前提とした制度なので、不確実性が高い社会において、今までと同じように機能するのは難しいだろうとも感じてます。

かつては、「今は辛いけど、頑張れば明るい将来が待っています」という、給料が我慢の対価になっていたところがありますよね。

でも今後、我慢の先に何があるか誰もわからないという社会では、WillとCanを伸ばした方が、不確実性への対応って高いと思うんです。その点で、WillとCanに対してしっかり向き合ってくれる企業というのが、より今後伸びてくるだろうと考えています。

例えば、大企業で新規事業開発が難しい理由の一つは、新規事業に興味のない人がアサインされるから。Mustでやってしまうからなんですよね。でも、新規事業開発をMustでやるとかなり難易度が高い。起業家を見ればわかるけど、基本はWillとCanで、Mustでやってる人なんていません。

だから、WillとCanを伸ばして新規事業開発できるようになってくれば、今後の不確実な世の中に対応できてくるはずなんです。

山口 WillやCanを重視すれば、ともすると、会社としてやってもらいたい領域の事業が生まれない可能性は格段に増してしまうけど、それを許容してでも、不確実性に対する対応力を上げていく方が良いということだね。

確かに、経営として、すごく理にかなっている考え方だと思う。

村上 あとはその割合ですね。よく、「会社の歯車」って言葉をネガティブな意味で使うじゃないですか。でも、歯車が1個でも狂うと、時計は回らないので、ある意味では歯車になるというのはとても大切だという側面もあります。巨大な企業を回すためには、みんなが自由になったら難しい。

だけど、今何が起きているかというと、リアルタイムに歯車の形が変わってきている気がします。今まで通り回していても回らなくなってしまう。

その再調整をどうしていくかと考えた時に、それはMustだけでは無理で、WillとCanが必要だと僕は思います。だから、その割合を企業として少しずつでも増やしていくことが求められるのではないでしょうか。

前回記事はこちら

References   [ + ]

1. 例えば落合陽一さんは2019年3月11日にTwitterで「俺は毎日やってることをこれでもかと発信してるのに「何やってるかわからない」と言う人は何がわからないのかもう俺にはわからない」と呟いている。
2. 西野さん著「革命のファンファーレ 現代のお金と広告」において、西野さんがバラエティ番組のひな壇に出ない活動を受けて、ナインティナインの岡村さんが「芸人だったら、『ひな壇』に出ろよ。皆、出てるんやから」というラジオでの発言について、ひな壇に出ない理由を書いている。西野さんにとって、芸人というのは、肩書きではなく、生き方の名称のことであり、岡村さんの考える芸人の定義、例えば漫才をして、ひな壇に出て、クイズ番組に出る等の活動をするものとは異なるという見解を示している。
3. 『えんとつ町のプペル』等。同絵本はこちらのサイトで全文公開している。
4. 城 繁幸は『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』(2006年、光文社)の中で、伝統的な日本企業において、上司や先輩が平成◯年入社やどこの大学出身かを覚えることの 重要性について、やや皮肉めいて書いている。
5. 出典:西村和雄 他「幸福感と自己決定―日本における実証研究」(RIETI Discussion Paper Series 18-J-026
6. ジョブ型とメンバーシップ型の違いについては、濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』(2013年、中央公論社)に詳しい。

インタビューカテゴリの最新記事