“法人の死”が起業家に迫ったピボットの選択:co-nect代表 中山友貴さん

「自分は何がしたかったんだっけ?」

2019年7月、それまで2年半続けてきたコワーキングスペース事業を閉じ、ボディメンテナンス事業へとピボットした株式会社co-nect代表取締役の中山友貴さんは、当時の心境をそう振り返ります。

GOB Incubation Partnersの客員起業家制度(Entrepreneur in Residence、EIR)を活用して、2017年頃からGOB社内で事業実証を繰り返して来た中山さんは、2021年2月にGOBから独立し、法人を設立しました。

苦しみ抜いたピボットを乗り越え、現在に至るまでの道のりを聞きました。

客員起業家制度」とは、起業志望者を会社の中に迎え入れ、給与を支払いながら事業実証を進めてもらう仕組み。起業家は最低限の安定した生活を確保した上で、純粋に価値を探求できる。

ヤマトからの荷物の受け取りくらいしか仕事がなかった

中山さんがGOBと最初の接点を持ったのは、2015年。当時まだ19歳だった中山さんはとあるアクセラレーションプログラムにメンターとして来ていた山口さんと出会いました。イベント後に山口さんから連絡をもらったことでGOBとの関係がスタート。当初は中山さんの事業の構想に対して山口さんがたまに助言をするような関わり方で、これが後のEIRへと発展していきました。

当時、アルバイトの休憩中に山口さんから来たというメッセージ

中山友貴:その後GOBの中の支援を受けて事業をやると決めてから、まずはアイデアを出したり価値を考えたり、顧客の定義をしたりと、ひたすら頭で考える日々でした。

当時のGOBは創業期だったので、僕以外はみんな外に出ずっぱりでせわしなく働いていました。一方の僕はと言えば、時折他のメンバーから来る「ヤマトからの荷物受け取っておいて」という連絡が自分の仕事だと思えるくらい、何もない日々でした(笑)。

しばらくして、近くに事業のことを話し合える仲間がいることが重要だと感じて、仲間数人と一緒にGOBのオフィスに住み始めたんです。一角にあった6畳ほどの部屋を男だらけで占拠してました。

みんなお金もなかったので、冷麦食べたり、たまに山口さんからもらう差し入れが高級品で嬉しかったりして。なんかそんなのが遅めの青春みたいな感じで楽しかったんです。

中山さんに、当時から現在までの歩みを図にしてもらった

しかしながら事業としては売り上げも上がらず、進展のない日々が続きます。一緒にやっていたメンバーも、1人また1人と、就活や他のスタートアップからの誘いを受けて離れていきました。中山さんも「楽しいだけじゃ仲間と一緒にいれない。夢だけじゃ無理なんだ」と強く感じたそうです。

中山:当時の事業はマネタイズがとても難しくて、今後自分はどこへ向かうべきなんだろうと考え始めたのが21歳の時でした。そんな時に、先行的にEIRとして社内で事業を立ち上げていた「はたらける美術館」の事業にサポートメンバーとして参画することになります。当時のはたらける美術館は、アートと働く空間を組み合わせた事業でした。そこからヒントを得て「働きながら運動する」ことで生産性を上げられるんじゃないか、と思いついたんです。

そのあとすぐ、山口さんの友人である脳科学者の青砥瑞人さんとディスカッションの機会をもらい、青砥さん自身もそういう働き方をしているということを聞いて、「この事業はいけるかもしれない」と自信を深めました。そこからクラウドファンディングで300万円以上を調達。2016年12月にリリースしました。ある意味見切り発車とも言えるスタートですが、その後正式にEIRに参画し、事業実証を進めていくことになります。

山口高弘: Co-nectの前に、いろいろと試してるんだよね。すぐやってみてやっぱり違うっていうのを何度も小さく小さくやったことで頭でっかちにならなかったのは、友さんの特徴だね。

「がちキャズム」だったコワーキングスペース事業

写真左:GOB代表の山口高弘さん、右は同じくGOB副社長の高岡泰仁さん

当時のCo-nectはコワーキングスペースとフィットネスクラブを同一化したサービスで、スペースで働いていると、必ず1時間に1回、運動の時間がやってくるというサービスでした。

念願のオープンでしたが、当時はかなり不安も大きかったようです。

中山:オープン前日、いろいろと翌日の準備をしに店舗に行くと、いきなり不安に襲われました。毎月の固定費もかかるし、僕1人じゃ回せないのでスタッフの人件費もかかるし、「これ本当に大丈夫なのか……」って。

山口:若くして起業する人の共通点かもしれないね。何をやろうとしているかがよく分からないので、 リスクを正当に評価したり正当に恐怖したりしにくい。マーケット投入が近づくほどに解像度が上がってきて、「ちょっとこれやばくないか」となってしまう。事業実証のためのマーケット投入と本格的な投入の区分もままならない段階だねこのあたりは。

中山:そうですね。だから最初はがむしゃらにやってました。

新しい業態なので、来店のボリュームゾーンやどこを定休日にすればいいかもわからなくて。スタッフは僕ともう1人だけでしたが、最初のうちは毎日朝6時から夜の23時まで営業していました。

もちろん家に帰る時間もないので、そのまま近くの銭湯に行って、店舗に寝泊まり。銭湯からの帰り道とか、急に不安が押し寄せてきて山口さんに電話したこともありましたね。

山口:6時から23時まで誰も来ないとかあったもんね。

今でこそWeWorkをはじめコワーキングスペースがかなり一般的になっているけど、当時2016〜2017年ごろはまだ先駆けだったからね(*WeWorkの日本第1号店オープンは2018年2月)。コワーキングスペースというマーケット自体が小さかった中で、さらにフィットネスをくっつけた事業だったので、“がちキャズム”に陥ったと。

腹落ちしないままピボット、気づいたこととは

その後、コワーキングスペース事業は将来的な成長の見通しが立たず、中山さんはピボットをするかどうかの決断を迫られました。結果的には2019年7月にピボットを決意し、その後の「ボディメンテナンス事業(もみほぐし、ストレッチ、トレーニングを組み合わせることで、身体の不調改善につなげるサービス)」へとつながっていきます。「絶望よりもさらにどん底」だったという当時の胸の内を教えてくれました。

GOBでは事業立ち上げのフェーズを次の10段階に整理している。中山さんがピボットを決断したのは実証期の「リモデル」に当たる段階だった。

中山:もともと人の働き方に着目して始まった事業だったので、ワークスペースへのこだわりが強すぎて、すがりついていたんです。でも赤字は膨らみ続け、2ヶ月後にはメンバーへの給料も払えない状況も見えてきました。いよいよヤバイとなって、結局ボディメンテナンスへとサービスを転換しました。今までで一番辛い時間でしたね。

「働き方に着目したかったのになんでボディメンテナンスやるんだっけ?」「自分は何がしたかったんだっけ?」って。

今思えば、ボディメンテナンスもビジョンの延長線上にあったわけですけど、当時は思いっきり事業ドメインを変えることになるので、ピボットへの拒否反応はありました。腹落ちしないまま、とはいえ事業を継続するためには意思決定するしかないという感じで。自分で決めたはずなのに、自分じゃない誰かに決められている感覚というか。そのチグハグ感を受け入れるのが大変でした。

山口:その感覚はとてもよくわかるな。

中山:でも結果的には、事業を転換して初めて自分のビジョンのさらに深いところに気づけました。現在僕らはトレーナーのことを「バディ(相棒などの意味合い)」と呼んでいますが、結局は、働く人の近くにバディのような存在がいてくれる世界を作りたかったんだと気づいたんです。

それはコワーキングスペース事業の頃も同じで、たぶんずっと思っていたことなんだけど、当時は僕自身がマーケットにとらわれすぎたせいで、それが見えていなかったんだと思います。

ピボットして、今では、以前と比べ物にならないくらいのお客さんが利用してくれています。その人たちの声やトレーナーにかけてくれる言葉を聞いていると、「自分のやりたかったことってこっちだったんだな」と気づけた部分があって、お客さんに視野を広げてもらったような感覚です。

山口:普通は自分のインサイトがわかっていないと、顧客のインサイトも同じ次元までしか掘り進められないけど、友さんの場合は、顧客のインサイトに引っ張られて自分のインサイトに気づいたみたいな感じかな。

中山:そうですね。お客さんのインサイトへの理解が深まった時に、僕自身のインサイトも深まりました。

実は、コワーキングスペースをやっていた頃のお客さんの中には、ボディメンテナンスに事業が変わった今でも利用し続けてくれている人が結構いるんですよ。

それはもちろん僕らへの愛情もあるかもしれないけど、通う頻度などを見ると、それだけとも思えません。マーケットが変わったのに、変わらずお客さんでいてくれているということは、その頃から一貫して根底にあったビジョンや思いに共感してきてくれているということだと思うんです。

“法人としての死”を目の前にして

山口:それが深まっていったのは、このままだと立ち行かないという厳しい瞬間を乗り越えたからこそだよね。よく事業家が価値軸を見直したり深めたりするときのきっかけとして「死」があるとされます。死の手前には、必ず臨死体験や幽体離脱があるそうで、言わば自分の状態を究極的に客観視できるから「あ、やばい」って気付けて、一気に思考が深まると言われます。おそらく友さんの場合は、このままだと事業がなくなるという「法人としての死」を目の前にして、一気に深まった感じかな。

co-nectの場合、価値検証や顧客発見からセオリー通りに検証を進めていったわけではなく、一気にマーケットに投入して、市場との格闘から学んでいくスタイルだったから、ぶつかる壁も大きかったね。ある種の死を通じて大きく深い学びを凝縮して得たような感覚。

中山:その感覚は超あります。

山口:なるほど。

そういう意味では、GOBでもそうした擬似的な死を感じられる瞬間を、仕組みとして起業家に提供していく必要性を強く感じています。GOBのEIRはこれまで、事業実証の期限を切ったり、使える金額の上限を決めたりせずに運用してきましたけど、やっぱり資金や時間の終わりや区切りがあってこそ、擬似的な死を体感できるんじゃないかと思って、2021年からは仕組みを変えました。実際にこのプロセスを経験してきた友さんとしては、この辺りどう感じますか?

中山:それはすごくいいですね。自分はそうじゃなかったからこそ、起業家自身の精神的な成長をかなりドライブさせられる気がします。当時の自分を振り返ると、相当あまちゃんだったと思うんです。死を目の前にすることで初めて爆発的な突破力が身についたりするので。

とはいえ、EIRはその仕組み上、事業開発にかかる金銭的なリスクは、起業家ではなく雇用する企業が負担します。起業家個人には一切のリスクがない、言わば“安全な状態”でも、死を実感できるものなのでしょうか。

中山:GOBがお金を負担してくれるから、死と真剣に向き合えなかったというのはまったくありませんでした。これは僕がGOBに愛着があることとは関係なくて、おそらくピボット時の臨死体験につながったのは、純粋にどれだけ事業と向き合ってきたかだと思います。

もしここで事業を断念したら、今のお客さんも一緒に働いてきたメンバーも、自分が信じてきたものとそこに費やしてきた時間、情熱を、すべて失うことになります。それをいかに未来につなげるか——。もちろんやるのは僕だけれど、そんなことを当時は一番考えていました。

選択肢の絞り込みと意思決定のスピードが加速した

山口:これまでCo-nect立ち上げから3〜4年事業をやってきて、ピボット含めて何度も変化をしてきたと思うけど、その変化のスピードや変化の数は変わっていった?

中山:回転速度は倍々で速くなっていく感覚です。

Co-nectオープンからピボットまではすごい時間がかかりました。その頃の回転速度はめっちゃ遅いんですけど、今では2ヶ月に1回くらい事業の方向性や価値の伝え方、訴求の仕方を変えている。それに応じて来てくれるお客さんも変わっていて、どんどん検証が進むんです。

地面に接していないと、回転しても空回りしてしまうように、解像度が上がらない最初のうちは、ひたすら思考の連続で終わっていました。だけど今はちゃんと地面に足が付いているので、どんどん前に進める感じがあります。

山口:友さん的に、これ伸びたなとか、前の自分と違うなみたいな瞬間やきっかけってある?

中山:意思決定のスピードとその前段階の絞り込みのスピードは速くなりました。要は選択肢を2、3まで絞り込むスピードと、そこからの最終決定するための軸みたいなものが、自分に芽生えてきたと思います。

山口:なるほど。一橋大学教授の伊丹先生によると意思決定には4種類あるんだけど、

駆け出しの頃は何の情報を集めればいいか分からないから、多くの人は結果的に「決断」します。次第に慣れてくると、意思決定の軸がない人は情報を集めすぎて「判断」になりがちです。その後さらに成長して意思決定の軸が出来あがってくると、情報が少なくても決定できるので、再び「決断」になります。このように、起業家の成長と共に、決断→判断→決断と戻ってくるんだよね。

じゃあ意思決定の軸をどうやって磨くかと言えば、たくさんの決断とそれに基づく「断行」の1つひとつから学習するしかありません。意思決定とはリソース配分なので、配分ミスによって大きな損失を出してしまうこともあります。そうしたリソースの損失経験を経て、決断の質が上がってくると、「断行」の質も上がってくるので、この決断と断行のセットを繰り返すことが非常に重要なんだよね。その結果として、意思決定の軸や指針が育ってくるので。

中山:本当にそう思います。

その後、事業は徐々に上向いていきます。2020年のはじめ頃からは、事業の成長と同時に、組織にも目が向けられるようになったそうです。

中山:ここに来て、初めて組織というものをかなり意識するようになりました。それまでは、個と個の対話に偏っていましたが、この頃からはチームとしての対話が増え始めます。自分たちCo-nectとは何者なのかをより一層考え始めたことで、お客さんとの対話にもそれが現れていきました。

この頃までは、現場に立つトレーナーの振る舞いにも結構個人差があったんですよ。だけど対話を通じて統一感が出てきて、お客さんの中でも「Co-nectのトレーナーってこうだよね」みたいな一貫したイメージができつつあります。

それはアンケートにも現れていて、お客さんが価値を感じてくれる項目が、施述のスキルや身体に関する知識量から、トレーナーの温かさや声のかけ方へと変わっていったんです。

プロダクトマーケットフィットならぬ、プロダクト“ソサエティ”フィット

山口:少し話が変わって、EIRにおける事業実証について改めて聞いてみたい。

事業が市場に受け入れられることを「プロダクトマーケットフィット」と言うけど、社会価値を重視した事業の場合、その後に「プロダクトソサエティフィット」が待っています。そのためには、マーケットを介して社会と接するための断面を広くとっておく必要があります。その際、独立した起業家として事業をするのと、客員起業家として企業の中で事業をするのとでは、社会との接点という意味で違いはあった?

中山:そこは起業家自身のマインドセットというか、どれだけ社会に向き合うかに依存すると思います。ただ、客員起業家として得られる経験は、特にBtoBの事業を立ち上げる人にとってはかなり価値があるものだとも思います。僕の場合は、GOBの中でBtoBでの取り引きに立ち会うことで、企業の人がどういう意思決定をするのかなどはっきりと見えてきたので。

山口:そうだよね。今言ってくれたことはある意味では、GOBへの課題提起にもなっていました。結局、客員起業家として企業の中で事業開発をする場合、toB(ビジネスプレイヤー)へのアクセスはしやすくなるけど、それだけとも言えます。

GOBの社会との接点も、大企業や自治体が中心で、かなり限定的です。でも例えば僕らがウガンダとの事業をやっていればアフリカとの接点が持てるように、事業を通じていろいろな接点を持つことで、もっと豊かになると思う。他にも複業の人たちをどんどん受け入れれば、その人たちを介して社会と接する断面を増やすこともできる。

そうしてGOB自体が社会との接点をさらに拡張できれば、起業家個人が社会との接点を作る開拓力に依存せず、誰もがそうした能力を身につけていくことができるはずだと思うんです。

口座のお金を増やすためだけに事業をやることはない

GOB参画から5年、co-nectの立ち上げから約4年。2021年2月4日に、co-nectは法人を設立しました。最後に、中山さんに今後の見通しを教えてもらいました。

中山:現在Co-nectではフィットネスサービスを提供していますが、最近は自分たちの事業を「ヘルスケア事業」だと定義し直しました。というのも、最終的に身体のことだけをやるつもりはなくて、あくまで軸に置きたいのは、人と人との間にある関係性です。

フィットネスというと、肩こりや腰痛、運動不足など、どうしてもマイナスからのスタートです。でも、僕らはもっとポジティブな体験として感動を提供したいと思っています。スタバでコーヒー飲むのがかっこいいくらいのライトさで、朝運動するのが気持ちいいみたいな感覚をみんなに持ってもらえるようにしたいし、その隣にバディという存在がいてくれる世界を作りたいと思っています。

山口:事業の定義が深化してきた感じだね。それは組織の中でももうみんなに共有されているの?

中山:2021年の年始にビジョンミーティングを開催して、2日かけてビジョンを練り上げ、バリューまで落とし込みましたから、今はトレーナー全員、聞かれたら速攻答えられると思います。

山口:それはすごい。co-nect進化してるね。

中山:ビジョンの浸透具合がトレーナーの評価軸にもなっていて、それで給与なども変わる仕組みにしてています。その評価テーブルはGOBで採用しているものを参考にさせてもらいました。

山口:そうなんだ。それはいいね。

中山:GOBは良くも悪くも、利益追求型ではなく、あくまでも世界観が一番重要で、それを実現するために利益がありますよね。この先、僕も単に銀行口座のお金を増やすためだけに事業をやることはありません。まずはビジョンを鮮明に描いて、それを実現するために必要な利益を逆算する事業スタイルは、自分の根底に染み付いていると思います。

写真:永山昌克